谷村工業高校・桂高校の紹介

平成28年3月1日に2校は閉校式を挙行しました。

うぐいすホールで閉校式

 

谷村工業高等学校

洗心橋から見た校舎 平成27年4月

 

校訓

敬 愛

 

 

校歌

谷村工業高等学校校歌

作詞 神保光太郎

作曲 貴 島 清 彦


甲斐のくにはら 晴れ渡り 父なるすがた富士ケ嶺よ
われら若きいのち おおらかに  羽ばたくかなた希望の未来
谷村高校 谷村 誉れの母校
 

岩うつひびき さわやかに 母なるながれ桂川
われら若きいのち たゆみなく 探ぬる世界 永遠なる真理
谷村高校 谷村 清らの母校
 

梭音すずし 勤労の 歴史を誇る ふるさとよ
われら若きいのち 相寄りて 祖国を興す 学徒の決意
谷村高校 谷村 輝く母校
 

 

 

谷村工業高等学校校歌第二

作詞 土井晩翠

作曲 山田耕筰


三百余年名将の 治めしむかし 遠けれど
処の誉れ 名の薫り 絶えず谷村の 町にして
今工商の 学びの舎
 

春また秋の 幾めぐり 同じき窓に 紅頬の
友蛍雪の いそしみや 敬と愛との 道まもり
忍び勤めて 世に立たん
 

世界にしるき 富士の山 日々に仰ぎて 心霊の
高きを競い 琢かでや 月の桂の 清き水
清かれ若き 子の血潮
 

望みの光り うららかに 我が青春の 空照らし
理想を遠く 追い行きて この生 空しからざらば
誉れは尽きじ わが母校
 

 

 

谷村工業高校応援歌

 


桂の川の 水清く 芙蓉の高嶺 天をつく
清くけだかき この里に 学ぶ谷高の 意気をみよ
フルエー フルエー 山梨谷高のチャンピオン
ラ フレ ラ フレフレフレ 谷 高 ^
二母校の誉れ 双肩に 熱血あふれる 若人が
勝利を胸に つき進む 谷高健児の 意気をみよ
フルエー フルエー 山梨谷高のチャンピオン
ラ フレ ラ フレフレフレ 谷 高 ^

 

 

 

校章

本校の校章は、明治時代本校に奉職した壇 参郎(小説家・壇 一雄の実父、女優・壇 ふみの祖父)が考案したものです。
山で梨地を囲み、山と山の間を使って剣(県)を表し、それが大地の上にしっかりと直立している姿をうまくデザイン化しています。当初のデザインは山梨県 立工業学校のものとしていたので、中心に工業の「工」をあしらい「山梨県立の工業学校であり、山に囲まれた本県は工業によって立つしかない。」という学徒の決意を表していました。その後、中心の文字は「工商」となり、さらに現在の「髙」へと改編されてきました。

山梨県立工業学校時代(壇 参郎先生考案)
山梨県立谷村工商学校
山梨県立谷村高等学校 ~ 山梨県立谷村工業高校
山梨県立谷村工業高校(校章レリーフ設計図より)

 

沿革

谷村高等学校の沿革概要

 

 

桂高等学校
正門の外側から見た校舎
 
 
校訓

校訓

 

己に克て

 

教育目標
自立と奉仕を尊び、知性と品性を磨き、国際的感覚を養い、個性の確立と進路の決定につとめる
 
生活実践目標
勉学に対するひたむきな闘志にもえる学園
信義と友愛をつらぬく礼儀正しい学園
からだを鍛え規律を守る清潔な学園
 

 

校歌

桂高等学校校歌

作詞 深尾須磨子
作曲 諸井 誠


凝る精気富岳の雪に 正す心のわが学びや
ここ石花海の山峡に 真理を求め幾とせを
学ぶもの鍛えるもの 夢ははるか世界の空に
みどり燃える桂の若木 かおれ桂 桂高校
 

しぶく光 桂の水に みがく叡智のわが学びや
早瀬にいどむ銀の魚 あらしをしのぐ冨士ざくら
励むもの貫くもの 美し山河祖国の土に
とわにかおる桂の若木 かおれ桂 桂高校
 

 

桂高校OBさんが作成

 

桂高校放送部作成

 

 

校章

校章について
昭和41年(1966年)4月1日制定
日本一の霊峰富士を仰ぎつつ、名水桂の辺(ほとり)に集い、切磋琢磨する生徒を、縁起・神聖・高潔などほのぼのとした文化の香りを持つ桂の枝の組み合わせにより表わしています。
 
スクール・カラーについて
昭和41年(1966年)4月1日制定
日の丸の赤に近い色。やや黄みに寄った赤で、もっとも暖かい色といわれます。本校の生徒に期待される情熱・勇気・慈愛・躍動・勝利など、明るく暖かいイメージがこめられています。
 
 
沿革